スクラッチレース  

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現在開催中のユニバーシアードの10000mポイントエリミネーションで4位入賞の川畑君。3位との差はたったの1点!メダルに届きそうです。

スクラッチレース準決勝はユニバーシアード4位、世界選手権10位の優勝候補大本命の川畑君。胸を借りるつもり、、?いやいやそれでも勝つつもりで臨んだレースでした。
強打した左腰も日本トップクラスの是津君に勝利し、問題無く動けると自信がついてきたようです。

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スタートはアウトコース。コーナー入口で並び強引に先を取ろうとし接触。若干バランスを崩している間に上の写真程の距離をあけられてしまいます。普通はここで焦ってインへインへと近道をしてしまうのですが、冷静にアウトコースへと回りました。遠回りにはなるのですが、加速ができるからです。
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この距離があって、あえてアウトコースを選ぶのは実は勇気がいるんですよ。

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必死に追いかけるもラスト一周の200m。まだまだ差が縮まりません。両選手とも必死です。この周回は二人ともアウトコースを選択。そして、次のコーナーの出口で背後から追いかける加藤君が一気に差を縮めてきます。そして最終直線、二人の差は無くなります。
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コーナー出口前。アウト川畑君はコース中央、イン加藤君はラインぎりぎりのコース。
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コーナー出口直後アウト川畑ひきつづきクロスしコース中央、イン加藤で既に直線の動作に。IMAG0303_BURST004

二人とも直線の動作に。IMAG0303_BURST005

加藤君がだんだん追いついてきました。IMAG0303_BURST006

ほぼ並んでいます。川畑君はコーナー出口よりもイン側に寄っているように見えます。IMAG0303_BURST007

完全に並びました。IMAG0303_BURST008

このあたりで接触が..

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バランスを崩してしまいますIMAG0303_BURST010

再び差が広がります。

IMAG0303_BURST011バランスを立て直すも…

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再び追い上げ態勢に入るも、力及ばずゴールしました。

写真で見るとコーナー出口でコース中央だった川畑君がイン方向へ向かっているように見えます。川畑君本人も自覚があったようでレース終了後の待機所でも言っていましたが、そこは審判の判断を待ちます。
審判長が直線の審判と協議をしているようで、結果発表まで若干の時間が有りましたが、判定は「セーフ」。問題無しとの判断が下されました。
私見ですが、写真で見ると確かにインへよっているように見えますが、流れで見てると明らかな反則という感じではなく、審判次第だなという印象でした。少しの斜行を厳しく取る審判もいれば、これ位の接触では問題なしと判断する審判もいるからです。
もしかすると、スタートでの接触とで相殺されたのかもしれません。サッカー等のジャッジでもありますが、この競技もコンタクトがあるスポーツなので、全体を見てジャッジされる事が有ります。

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しかし、中学校2年生の加藤君が世界トップレベルの川畑君をギリギリまで追い詰めたという点は変わらず、素晴らしいレースをしたと思います。レース後、川畑君に加藤君について聞いてみました。「僕が思うに成長期にどんどん速くなっていくのは当然。でも、成長期が止まった時に必ず伸び悩む時期がきてしまう。なので、スケート技術を更に磨いていけばもっと上に行けるようになる」との事でした。

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3位決定戦は座間VS加藤。
加藤君はスタートはアウトコースだったのですが、前をとる事ができました。おお!これは、、!このリンクはコーナーがきつめなので先にインさえとってしまえば簡単には抜かれない。そう思っていました。
写真はスタートから70m地点ですが、まだ加藤君がリードしています。しかしコーナーの入口では抜かれてしまいます。そしてインでスピードが抑え気味だった加藤君に対し、アウトコースから来た座間君の方が圧倒的なスピードをつけ、そのまま大きく差を開けました。
その後は焦りなども有り差は縮まらず、そのままゴール。アウトコースから抜かれてしまう程の力の差が有りました。
レース後、座間君から加藤君に。「どんぶり3杯飯を喰え!」とのエールが。体を大きくする事はこの時期にしかできない、食べる事も練習という事なのです。

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上位進出者は代表合宿等である程度滑り慣れているリンクに対し、加藤君は当日入りの初めて滑るリンク。そして、転倒し病院に行かなければならない程のケガをするという悪条件の中でも勝ちにこだわり、大きく成長させてくれた大会になりました。

スクラッチーレス順々決勝

 

レベル差が有る1回戦とは違いレベル差が少ない準々決勝。初戦の川畑vs川口の戦いも周りからは「これ、決勝でええんちゃう!?」なんて声も漏れたほどの熱戦でした。
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カザックスの加藤は昨日のケガの為、力が入りきらないような状態。準々決勝はかなりきつい戦いが予想されました。対戦相手は長距離を得意とする是津君。しかし、ここ数か月で体つきが変わり、短距離の実力も上げ6月の全日本ロードでも500mで決勝まで勝ち上がっています。加藤君にとってはスタートが取れるかが一つのカギ。いつもならスタート得意な加藤君が問題無く先行できるところですが、ケガの影響も有り1回戦のタイムで比較しても若干不利な状況と予想していました。
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しかし、ピストルの音を聞いてからは痛みを気にすることなくスタートをとる事が出来ました。そこからの絶妙なスピードの上下。相手の良い所を消し得意の加速をいかせた展開で勝利を収める事ができました。_20170709_202846
六月の終わりから僕、山先生、寺下君も対戦相手となり様々なパターンでのスクラッチレースの駆け引きをシミュレーションし練習を重ねてきました。実は7月8日の練習では加藤君が負け越しているような状態でした。彼は実力はかなり有りますが、まだ中学生。駆け引きの甘さがありました。
その後も練習を重ね、コースのとり方やスピードの出し方など様々なパターンを覚えて大会に臨み、その成果が発揮されたレースだったと思います。

https://youtu.be/iTfReXjP2Tk?t=53
動画 是津vs加藤 (鶴谷さん撮影)

 

スクラッチーレース

事前練習の機会も無く、天候の関係で初めてぶっつけ本番のリンクとなるkazaxの選手二人。
父の教え…「リンクとお友達になりなさい」を念頭に事前練習ではリンクの素材に慣れさせる事を重視させ試合に臨みました。どこまで押せば横滑りしてしまうか、どう乗れば進むかを体にしみこませるのです。
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kazaxの父、雪雄。64歳でもなお現役で4月末中国で開催された国際大会、40歳以上の部でも優勝しました。

もっとスピードを出させたいのですが、レース開始までに時間も無く、加藤のケガの調子も思わしくない状態。第一試合でスピードを出し、本番の中で見極めていくような状態でした。
しかし、前日の雨とその中でも諦めずにリンクの掃除をしてくださった方々のおかげで、日曜日のリンクコンディションが最高でした。通常、この時期の千曲川のリンクはグリップが悪く、慣れていない選手にとって難しいリンクですが、とても滑りやすかったです。ありがとうございました。

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予備予選と初戦は上位選手と下位選手のトーナメントから始まり、川口vs中井以外の対戦ではレベル差が大きいため番狂わせは起きにくい状況でした。写真は是津VS津幡。レース前に冗談で「作戦は例のアレな」と是津君の前で伝えると、是津君からは「俺の作戦教えたろうか?ごり押しや!」とのアンサーが。作戦通りスタートから飛ばし最初の100mを11秒前半の好タイムを出してきました。
彼は長距離の選手で、短距離は比較的苦手だったのですが、この一年で体が絞られスピードが上がってきています。津端君は手も足も出ず1回戦敗退でした。
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直後の加藤vs鶴谷の同学年対決。加藤君はケガの痛みとリンクの状況を見るために1回戦から全力で滑る予定でした。
結果は加藤君が危うい所なしに勝利しましたが、タイムを見ると得意の100m11秒3でいつもに比べて決して良くありません。残りの2ラップも遅くやはり調子が悪いようです…
次の対戦は好タイムで津端君を降した是津vs加藤。ここまでは内心、加藤君には厳しい状況だと思っていました。
患部を冷やして、休んで、動いての繰り返し。骨などに異常はないものの、この部位の強打は初めての経験なのか力が入りにくいようです。

 

全日本スプリント選手権 スクラッチレース

2017年全日本スプリント選手権大会土日に開催されました。
初日は生憎の雨、、降水確率が更に高いはずの日曜日は、みんなの願いが通じたのか晴れました!IMAG0268
 
スプリント選手権ではスクラッチレースという方式が採用されました。20年以上前に東日本選手権等で行われていた競技で、今年2月に脇スピード委員長とお話する機会があり、レースの形態についてアイデアを提案したのが採用された形になりました。
通常の500mの場合、アウトコース4番手でスタートで遅れてしまうとかなり不利になりますが、1vs1の勝負なので、単純に速いだけではなく駆け引きの要素も非常になってくる奥の深い競技です。
 
6月の終わりからスクラッチレースの練習を積んで臨んだのですが、長野のリンクに行く機会は無く当日入り。
更に雨が降ってしまいほとんど練習できず、リンクに慣れる事ができません。
更に更に加藤が雨の中練習していたら転倒してしまい、土曜日は棄権し病院に行かなければならない程のケガになってしまいました。
日曜日、何とか歩けるくらいには回復したのですが、足を引きずりかなり痛そうにしています。練習時間にダッシュをさせるのですが僕の引っ張るスピードにもスタートで離されてしまいます(19秒1)足を庇ってしまい全力を出すのが厳しい様子でした。IMAG0284_BURST006
「トップアスリートは怪我をしている中でも全力でベストパフォーマンスを出すものだ」と送り出したものの不安の残るレース開始となったのです…
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バングラディシュ春の特別講習 コーナー編

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バングラディシュでのコーナー基礎レッスンの様子。
私がいる間だけ上達しても効果が低いので、私がいなくなってからも現地のコーチや選手同士で教えられるように心がけて指導しました

加藤優弥 全日本選手権Jr.B で完全優勝!

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写真は全日本選手権Jr. B クラス 5000m エリミネーション。

カザックスの加藤選手が最初の周から飛ばし二位以下を一周抜かしで優勝しました。
今大会の細かい作戦は無し。私からの指令は1つ..「影も踏ませないで勝て」でした。
この傲慢とも言えるミッションは今年一月から常に彼に言い続け、時にはプレッシャーになった事でしょう。

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300mは27秒台で19歳以下のJr. A の優勝タイム以上、シニアを合わせても全国4位の成績でした。同クラスでは圧倒的なスピードが有ります。
しかし長距離でスタートから先頭に立ち勝ちきるのは本当に難しいと言うのは、この競技をしている誰もが知っている事でしょう。

大会を通してコンディションは100%とは言えず、特に二日目の調子が悪かったです。コンスタントに出ていたラップ16秒台が出なくなり、前日までの疲れが出ていたようでした。
逆に一緒に練習をつけてあげている他チームのライバル選手が17秒8までラップタイムを上げ全く油断できる状況では無くなりました。
それでも一切守りに入ることなく攻め続けた13歳加藤優弥!
明日からは全日本代表候補合宿です。年齢的にまだ代表にはなれませんが、国内の強豪選手と切磋琢磨し更なる成長に期待したいと思います!

風巻雪雄 中国で開催された国際北戴河マラソンで優勝!

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中国北戴河で開催された国際マラソン大会に風巻親子が招待され出場しました。
先ほど21kmの部が終了し40歳以上の部で風巻雪雄が優勝!2位以下を大きく引き離しての優勝でした。

集団の経験

インラインスピードスケートでチャンピオンを目指す。それは体力が有り、テクニックが有り、スピードが有るのは当たり前です。その他、駆け引きとはよく言われる要素ですが、大人数の集団でのレースのさばき方が非常に重要になります。
ただ、残念ながら日本の選手には大人数でのレースが得意な選手はいません。それもそうでしょう、、経験がほとんど無いからです。
他国では数十人の同レベル帯の選手が狭いリンクでしのぎを削り、または数百人の大集団でマラソンを定期的に滑っています。日本は?少人数のレースを年に数回ですね。

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実は私は集団レースのポジションを変え、奪う、奪われないようにするのが日本の中では得意でした。実はその理由はクアッド時代に有ります。
クアッド時代、レース展開は非常にスローでした。1万mの日本記録は19分台で時には歩くようなスピードでレースをし、時折アタックがかかりスピードが無い選手が徐々に振り落とされていくのが一般的な展開でした。

92ikedaクアッド時代。。1992年。

1万m19分台、、これだけ聞くとまるでレベルが低いように聞こえますが300mの日本記録は高萩さんの27秒台で2位以下の選手も27、28秒台で滑る力が有りました。2部の300m優勝タイムも現在とあまり変わらず29秒台か30秒台前半。現在の道具の進化と比べればこのタイムがどれくらい速いか想像できると思います。つまり当時の中長距離はラストのスプリントを重視した展開だったのです。

二部参加選手が約40名。レース展開が遅い分、集団は凝縮され横に2、3列になります。レベル差がある選手も第一集団の中でエリミネートされないようにポジションを次へ次へと変えていきます。
当時、2部で一番大きなラインを作れたのが、現在専門委員の鳥取さんや代表コーチの大谷さんが所属する近畿大学。私は当時中学生だったのですが大学生の上位陣に割って入ろうとポジションを奪い、奪い返され、ポジション取りのスキルが鍛えられていきました。
当時はホッケーも並行して行っている選手が私も含め大半で、急加速、トリッキーな動きや、ある程度のぶつかり合いにも慣れていたと思います。(基本ローラーホッケーにはコンタクトプレイは有りませんが、それなりにぶつかり合いも有ります)

scan3-003写真は99年世界選手権の様子。2番手が風巻。先頭付近にアジア選手が固まりました。

しかし、インラインスケートに代わりレース展開がガラリと変わります。
ハイペース化になりスタート直後に少人数に絞られてしまいます。小回りもクアッドよりは利かなくなり、インラインスケートだけを専門とする選手が上位を占めるようになります。
もちろんポジションの奪い合いがすべて無くなったわけではないのですが、40人参加選手全員がポジション取り合いをするような展開はインラインスケート以降、日本ではできなくなってしまいました。

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しかし、スケート人口が多い海外ではハイペース化とポジションの奪い合いは両立していました。写真は1995年、世界選手権。3番手が私です。16歳ですが当時はシニアカテゴリーしかありませんでした。1万m16分台だったと記憶しています。またほぼ全員の選手がインラインに慣れていない頃で、95年と96年の平均ペースはかなり違った記憶があります。96年ロード1万mのタイムは14分台でした。

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当時、弟の草太も中高生。ほぼ同じ実力で、国内のサシでの戦いでは負ける率の方がむしろ多かったのですが、海外の大人数レースになると私の成績の方が良かったです。私の場合は2部での集団経験やポジションの奪いあい経験が合ったため、レースの荒い南米選手らともそれなりに渡り合うことができました。
弟はクアッドで2部の大人数競技経験をしないまま、インラインスケートに変わった初年度で1部に昇格し、そのままスピードと体力のみで国内上位になり、代表入りしました。
そして集団での争い経験が無いまま世界選手権に出場し、体の大きい外国人と争うことができず実力を発揮しきれなかったのかと思います。。
狭いリンクで40名の戦いをしたことが無い、現在の日本トップ選手もほぼ同じ状況と言えるでしょう。クアッド時代の日本選手はトップスピードと集団での駆け引きに長けていて、インライン以降の日本選手は巡航スピードと持久力に長けているという傾向が有ると思います。

写真は98年15000mポイントエリミ。集団後方ではなく前半にポジション取りが成功した大会で、この種目は13位でした。

遅めの新年会

 

今日は市議会議員で松戸市インラインスケート協会会長の渋谷つよし後援会新年会が行われ、我々スケーターもちょっと遅めな新年会をしてきました。
会長自身もインラインスケートをし、スピードスケートも持ってます(^_^)v
来年度には松戸市でもイベントが企画されていて、私たちも準備していこうと思います!

受け継がれていくもの

今日の江戸川練習は一般開放時間で須賀啓太さんと一緒になりました。彼はレースから離れて数シーズン経ち子供たちの指導にあたっていますが、滑りや体型を見る限り、まだ日本で5本の指に入ってもおかしくないスピードを持っている事でしょう。

須賀さんが小中学生の頃、同じ千葉県内という事もあり彼を教えたり合宿に連れて行った事もあります。今日はカザックスの津端選手に江戸川バンク攻略のアドバイスをしてくれました。
また、私にインラインのイロハを教えてくれた高萩さんともお話する機会がありました。
こうやって様々な形で日本のスケートが受け継がれ進化していくんですね